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ゲルニカ物語―ピカソと現代史

ゲルニカ物語―ピカソと現代史 (岩波新書)

戦略爆撃

空から組織的かつ無差別に爆弾を投下して敵の戦意を喪失させるこの手法は、
スペインの古都ゲルニカで行われたのが最初だとされる。

ピカソはこの残虐行為に抗議するために有名な壁画「ゲルニカ」を描いた。

元々ピカソは政治と距離をとっていた人で、自らの作品で政治的な意思を示したのは「ゲルニカ」が最初だった。
政治嫌いの巨匠があえて政治的な意図をもって描いた絵は、
その後の国際政治に翻弄されて数奇な運命をたどる。

1937年、「ゲルニカ」はパリ万博で初めて展示された。
これは、フランコ将軍率いるスペイン反乱軍に対抗するために、国際社会の援助を求めることが目的だった。

その後スペインではフランコ将軍が政権をとり、「ゲルニカ」は戦火を避けて米国へ渡る。
国家元首となったフランコは、「ゲルニカ」をスペインに返すよう要求し始める。
世界的に有名な絵画を母国に返すことで、政権の正統性をアピールしたかったようだ。

しかし、ピカソはこれを拒否。元々フランコへの抗議のために描いた絵だから当然だ。

1960年代、米国ではベトナム反戦運動が広がる。
すると今度は、米国の芸術家たちが「ゲルニカ」をスペインに返すよう求め始める。
理屈は、ベトナムを空爆する米国に、この絵を所有する資格がない、というものだった。

しかし、米国内でも反対意見が出る。曰く、
確かに米国のベトナム空爆は愚かだ。しかし米国には【権力】の愚かさを批判する自由がある。
独裁政権下のスペインにそれがあるのか?「ゲルニカ」は自由と民主主義の国にあるべきだ。

こうして「ゲルニカ」は米国にとどまった。

1975年、フランコ政権が崩壊。憲法で民主主義が宣言された。
そして1981年、「ゲルニカ」はスペイン民主主義の象徴として祖国に返還された。

ピカソはフランコ政権が崩壊する前に他界。
故国に「ゲルニカ」が戻る日を見ることはなかった・・・

かくして民主主義の象徴となった「ゲルニカ」だが、
ピカソにとっては反フランコという以上の意味はなかったようだ。
スペインへの返還に反対したのもフランコ政権が嫌だという理由だ。

しかも、ピカソは共産党に入党している。
民主主義の象徴を描いた人が共産党員?と不思議に思えるが、
フランコ政権が極右なので、【ソ連】と共産党はその対抗勢力だったのだ。

ピカソは芸術家としては共産主義に全く迎合できなかったようで、
彼の描いた「スターリンの肖像」は不敬罪騒ぎになったほど。
ピカソのマッチョさが伝わるエピソードだ。

ゲルニカに始まった戦略爆撃は、その後の戦争の主流となった。
日本はその被害者であり、加害者でもある。

この絵が描かれてからの世の中の変化を振り返りながら、
改めて「ゲルニカ」を眺めてみたい。
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