病気を診ずして病人を診よ―麦飯男爵 高木兼寛の生涯

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(1999/08/30)
倉迫 一朝

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森鴎外の名前は教科書に出てくるが、高木兼寛の名前はなかなかお目にかかれない。
ちなみに、鴎外(おうがい)はパソコンで一発変換されたが、兼寛(かねひろ)はすんなり変換してもらえない。

森鴎外(本名 林太郎)が陸軍の軍医総監だったのに対して、高木兼寛は海軍の軍医総監だった。
ともに軍医として『陸の鴎外、海の兼寛』と並び称されていたという。

森鴎外が、当時大流行していた脚気細菌が原因だと考えたのに対して、高木兼寛は栄養不足が原因だと考えた。
日露戦争では、陸軍で二万人以上の脚気死亡者が出たのに対して、兵食改善をした海軍ではほとんど重傷者が出なかった。
(ただし、海軍での統計が過小評価であったという説もある)

脚気の原因がビタミン不足であることが、日本でほぼ確定するのは1920年ごろ。
高木兼寛が、軍艦「筑波」の遠洋航海でパン食を採用し、その成功をうけて海軍の兵食改善に着手したのが1885年あたり。
病気の原因がわかる35年近く前に、予防策を講じて成果を挙げていたことになる。

病気のなりたちには常に【不確実性】がともなう。
しかし「真の原因」を知らなくても、予防のための意思決定はできる。

高木兼寛いわく、
『脚気の予防が確立されたからには、それ以上原因について研究する必要はあるまい』
ということらしい。

高木兼寛は宮崎県出身。
本書は宮崎放送のテレビマンであった著者が、高木兼寛の特集番組を作る際の取材記録の形をとっている。
著者の性格なのだろうか、細かいところまで記述しているので正直読むのがしんどい。
ただ、脚気と森鴎外との関係が出てくる10章から11章にかけては一気に読ませる迫力。

軍医としての顔だけでなく、【ビジネス】の世界でも超人的な活躍をしていた様が描かれる。
民間の病院・医学校・看護学校の設立(今の慈恵医大)、保険会社の起業(今の朝日生命)、資生堂(当時は薬局)との医薬分業、晩年は宮崎神宮の大造営などなど・・・

デスクでじっと考える森鴎外、一瞬もじっとしておれない高木兼寛。
戦後【教育】での扱われ方も含めて、これほど対照的な二人も珍しい。
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