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平家物語

平家物語(岩波文庫)平家物語(岩波文庫)
(1999/07/16)
梶原 正昭、山下 宏明 他

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『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり』
このシブすぎる出だしに惹かれ、あえて古文のまま読んでみた。
何度も挫折しながら数年かけてようやく読了。そんなときにNHK大河にも清盛が登場してちょっとしたブームになっているようだ。

平安時代末期、栄華を極めた平家一門の滅亡を綴った物語。
最初は平家の驕りっぷりが描かれる。有名な「平家にあらずんば・・・」のセリフ
『この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし』
は清盛の妻の兄・時忠の言葉。
清盛は、都におかっぱ頭三百人の少年警備団を組織、平家の悪口を言う奴を見つけてチクらせていたという(巻第一 禿髪)。

清盛のパトロンであった後白河法皇は、そのような横暴に次第に不満をつのらせいた。側近の不満分子とともに反乱を企てるが、密通により未遂に終わる(巻第一 鹿の谷)。

激怒した清盛は、首謀者の一人藤原成親(なりちか)を斬首にしようとするが、清盛の長男・重盛が親父に直訴、
『刑の疑わしきをばかろんぜよ、功の疑わしきをば重んぜよ』
と思いとどまらせる(巻第二 小教訓)。

清盛が激情型の信長タイプだとしたら、重盛はバランスのとれた家康タイプ。重盛は早死にしてしまうが、もし長生きしていたら平家の天下は続いていたのではないかとも言われている。

他の三人の首謀者は薩摩の鬼界ヶ島に流される。そんな折、清盛の娘が天皇の子をご懐妊、恩赦で呼び戻されることになる(巻第三 赦文)。しかし一人だけ、俊寛という僧侶だけが恩赦に含まれていなかった。彼は他の二人と一緒に船に乗せてくれと懇願するが、非情にも突き放されてしまう(巻第三 足摺)。

このあたりの話はドラマチックなので、いろいろアレンジされて歌舞伎の演目にもなっているようだ。

物語の後半は平氏一族がバタバタ死んでいく。ある者は戦で斬られ、ある者はさらし首にされ、ある者は自害し、都では一族を根絶やしにするため平家の子孫に懸賞金がかけられた(巻第十二 六代)。おかっぱ頭警備団のツケを払わされた形だ。

平家の死に様の中でも清盛の甥・敦盛の最期は特に悲劇的だ。
敦盛は『容顔まことに美麗』な十七歳。一ノ谷の戦に敗れ海を漂っていたところを熊谷次郎直実に見つかってしまう。熊谷は息子と同じ年頃の、美しい鎧を着た見目麗しい少年を斬ることを躊躇するが、助けると自軍に見つかってしまう。泣く泣く首をはねて鎧で包もうとしたとき、少年がを腰に差しているのに気づく。
『東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ』
その優雅な少年の死に誰もが涙したという(巻第九敦盛最期)。(巻第九 敦盛最期)

源氏の方は、義経の強さがハンパない。
崖を駆け下りた一ノ谷(巻第九 坂落)、那須与一が扇の的を射る屋島(巻第十一 那須与一)、連戦連勝で平家を檀浦に追い詰めてゆく。

源氏のもう一人の雄は木曾義仲。平家の大軍を谷底に落とした倶利迦羅峠の戦(巻第七 倶利迦羅落)などを経て、最初に京都に入る。

義経と義仲は、平家打倒に多大な貢献をしたにもかかわらず、冷徹な策士・頼朝にいいところを持ってかれてしまう。如才ない頼朝は、要所要所で当時の【権力】の肝、後白河法皇の顔色をうかがったり、お墨付きをもらったりしている。一方の義仲は、せっかく京都に入ったのに法皇の御所を焼き討ちにするという暴挙。食事や装束、牛車の乗り方に至るまで、宮中の慣わしを全く知らぬ信濃の田舎者、悲しいかな貴族たちの笑いの的になってしまった(巻第八 猫間)。
義仲は頼朝の命で京に上った範頼・義経軍に討たれ、その義経も檀浦の後、頼朝に危険人物とされて討たれる。

物語の随所に出てくるのが、崇徳院の呪いだ。都で戦や天災が起こる度に、すわ!崇徳院の呪いか?と騒ぎになって祈祷が行われる。史上最大の祟りとも言われる崇徳院の呪い、今読んでも怖いくらいだから当時は洒落にならない話だったのだろう。
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