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平治物語

平治物語 (岩波文庫)平治物語 (岩波文庫)
(1934/11/15)
岸谷 誠一

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平清盛=おごれる者

と勝手に思い込んでいたが、平治物語では意外にクールな清盛が味わえた。

平安時代末期に起こった平治の乱は、藤原信頼(のぶより)というイケてない公家が、
昇進を妨害された腹いせにライバル公家を殺し、ついでに天皇と法皇を幽閉してしまった事件

清盛は信頼に対して味方っぽい態度をとりながら、裏ではこっそり天皇の身柄を確保。
官軍となるや一転、容赦なく信頼軍を制圧、ごほうびの昇進を手にする。

天皇家の用心棒として恩を売ると同時に、をせっせと嫁がせ外戚となり、ついには関白太政大臣をゲット。
最終的には孫を天皇にすることにまで成功する。

単なる傭兵レベルだった武士の地位を、緻密かつガマン強い作戦で【権力】トップにまで押し上げた男。
それが清盛なのだ。

鎌倉幕府をつくった源頼朝が武家政権のパイオニアだと思いきや、
実は地ならし的な作業はすべて清盛がしてくれていたのだ。

平治物語には、清盛と頼朝の皮肉な因縁も描かれている。

頼朝は平治の乱で信頼サイドに加担、囚われの身となった。
同じくクーデターに加担した父の義朝と兄の義平は処刑された。

当時まだ13歳だった頼朝の処遇について清盛は
「源氏の末裔を生かしておくと将来ヤバいことになる」
と強く処刑を主張した。

ところが抜け目ない頼朝少年、いろんな人に命乞いをして説得工作、
最後の最後でつい清盛は情けをかけてしまった。

結果伊豆への流刑で済んだ頼朝。
20年後打倒平氏の大将として舞い戻り、清盛の予言どおり平氏を滅ぼした。
そんな源氏の政権も、同士討ちばかりして三代限りで終了。
東国の野蛮人集団の源氏に、慎重な政権運営はどだい無理だった。

もし清盛がクールさを突き通していれば、
武家政権がもっと早く安定化して、めぐりめぐって日本の
【近代化】も早まったんじゃないか・・・
というのは考えすぎか。
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保元物語

保元物語 (岩波文庫)保元物語 (岩波文庫)
(1934/11/15)
岸谷 誠一

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「こんぴらさん」で知られる香川県の金刀比羅宮には2人の神様がまつられている。

1人目は大物主命というホントの神様、2人目は崇徳天皇
崇徳は平安時代に実在した天皇だが、呪いがあまりに恐くて神様として追加されたのだ。

京都の白峯神宮。明治時代にできたこの神社にも崇徳がまつられている。
明治維新で国を建て直そうというとき、崇徳天皇の呪いがかからないように
わざわざこの神社が建てられたのだ。

明治維新と言えば崇徳が死んで700年後。どんだけ恐れられてるのか。
まさに「史上最恐」といえるこの怨霊がいかにして生まれたのか、保元物語にたずねてみよう。


平安時代末期、崇徳は鳥羽天皇の第一皇子として生まれた。
白河天皇の代から続く第一皇子の系統、大本命のプリンスだった。

父の鳥羽天皇からわずか5歳で皇位を継いだ崇徳だったが、
20歳を過ぎたころ異母弟の体仁(近衛天皇)に譲位させられる。

この譲位は鳥羽のだった。
「弟の近衛を養子にして譲位すれば、父として院政をしけるぞ」とそそのかされたのだ。
フタを開けてみると、即位の公式文書には「弟に譲位」と書かれていた。
院政は天皇の父か祖父しか行えないので、崇徳は【権力】から外されてしまった。

失意の崇徳は実の息子に望みをかけた。
実の子を天皇にすれば誰にも文句を言われずに院政がしける。
しかしまたしても鳥羽が邪魔に入る。
側近たちと謀って、後白河天皇を擁立してしまったのだ。

後白河は鳥羽の第四皇子、崇徳の3つ下の弟にあたる。
人徳も教養もない、崇徳にしてみれば格下もいいとこだった。

崇徳がここまでコケにされたのは、「崇徳=不義の子」説が原因だと言われている。
崇徳は鳥羽の子ではなく、鳥羽の祖父・白河天皇が鳥羽の妻と不倫してできた子だというのだ。

実の父がひいおじいちゃんという悲劇。
鳥羽の死をきっかけに崇徳はついにクーデターを起こすがあっけなく敗北
讃岐(今の香川県)に流されてしまった。
天皇経験者が都を追い出されるのは400年ぶりのことだった。

崇徳は後世のためにと3年かけて写経して都へ送る。
しかしこれまたあっさりと送り返される。遣いの者が様子を見に行くと、
崇徳は自らので書をしたため、髪も爪も延ばし放題で京を呪っていたという。
そして都に戻ることなくそのまま生涯を閉じた。

これがこんぴらさん白峯神宮に鎮められている呪いだ。


崇徳にとって流罪は相当キツかったようだが、
反乱に手を貸した源平両家の武将は、幼子もろともをはねられてる。
その首をはねたほうも、続く平治の乱から源平合戦にかけて、
次々と命を落としてゆく運命にあった。

まさに諸行無常

崇徳は第一皇子として豊かな教養を身につけていた。
百人一首にも選ばれている崇徳の和歌は味わい深い。

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あわむとぞおもふ
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無意味つづり>書庫モツ連鎖

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