オウエンのために祈りを〈上〉

オウエンのために祈りを (新潮文庫)オウエンのために祈りを (新潮文庫)
(2006/09)
ジョン アーヴィング

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小学5年のとき、クラスにKくんという子がいた。

男の子なのに髪が長く、だらりと垂れた前髪の間から鋭い眼光をのぞかせていた。
色黒だったのでそれをもじったあだ名がつけられていた。

Kくんはランドセルじゃなく肩掛けカバンを使っていた。
ある日の昼休み、彼のカバンに順番に蹴りを入れていくゲームが始まった。

私もおもしろがって参加していたら、運悪く私が蹴った瞬間、
魚の開きみたいにカバンが裂けてしまった。

担任に説教された後、私はKくんと一緒におうちまで謝りに行くことになった。

道すがらKくんは一言もしゃべらなかった。特に怒っている風はなく、
壊れたカバンを脇に抱えてただ前を歩いていた。

市営住宅の階段を登り始めたとき、Kくんの様子がいつもと違うことに気づいた。
鼻歌を歌いながら、一段とばしで駆け上がり始めたのだ。

その姿はまるで、初めて友達がうちに遊びに来るのを楽しんでいるかのようだった。。。


Kくんのことを思い出したのは、小説に登場するオウエン・ミーニー
ハンディキャップを持っていたからかもしれない。

彼は体が小人のように小さく、教会の日曜学校でみんなのおもちゃにされている。
主人公である「ぼく」はオウエンの親友。オウエンいじりに参加することもあるが、
自分が一番の理解者だと自負している。

オウエンのことで一つわからないことがあった。
彼がハンディキャップゆえの苦難をすんなりと受け入れていることだ。

オウエンが言うには、「すべて神様に選ばれたこと」なんだそうだ。
信心深いほうではない「ぼく」にはピンとこなかった。

ある事件で、「ぼく」は大切なものをオウエンのせいで失ってしまう。

そのときオウエンがとった行動は「ぼく」には訳がわからなかった。
でも後になってみると、とても深い意味があった。

大人になって、「ぼく」は敬虔なキリスト教徒となった。

当時のことをこう振り返る。
『それまでは、どんなものにも何かの意味があるなどという考えは
ばかげていると思っていた。いまでは、あるできごとや特定の物には
「特別な目的」があるのだと信じている。』

Kくんにとってあのカバン事件はどんな意味があったのだろうか。
信じるべき神や【宗教】を持たない私は、いまだによくわからないでいる。
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オウエンのために祈りを〈下〉

オウエンのために祈りを〈下〉 (新潮文庫)オウエンのために祈りを〈下〉 (新潮文庫)
(2006/09)
ジョン アーヴィング

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アメリカ人はドライという勝手なイメージを持っていたが、
本書で描かれるアメリカの生活は結構ウェットだ。

所属する教会の委員をやらされたり、学校のクリスマス劇の役を割り振られたり、
宗派の違いでいざこざがあったり。

日本で言えばPTAとか町内会みたいなものだろうか、
人付き合いがそれなりに大変そうだ。

物語の後半、大学生になったオウエンと「ぼく」。
ハンディキャップをものともせず何事にも積極的なオウエンに対して、
「ぼく」は、なんやかや理屈をこねて面倒を避けている。

子どもの頃の「ぼく」はオウエンの守護者を気取っていたが、
今や立場は逆転したかのようだ。

折りしもベトナム戦争が泥沼化していた時代。
徴兵を逃れたい「ぼく」は大学院に進んで先延ばしを図る。
対照的に、オウエンはベトナム従軍を志望する。

物語の最後、オウエンが何度も夢に見てうなされた「運命の日」が訪れる。
そのとき「ぼく」は、自分もまた神様に選ばれた存在だったのだと気づかされる。

その後敬虔なキリスト教徒となった「ぼく」だが、
周りと積極的に関われない性格はあまり変わっていない。
移住先のカナダでも人間関係に悩む日々だ。

信仰を持つことで性格が変わるわけではないし、
まして人生の目標が見つかるわけでもない。
生活の中の【宗教】というのはそういうものなんだろう。

相変わらず皮肉屋の「ぼく」も、祈りの時間だけは大切にしている。
人生なにかと理不尽だけど、誰かのために祈るときだけは平穏な気持ちになれる。
生きてる意味って実はそんなとこにあるような気もする。

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shokomotsu

Author:shokomotsu
無意味つづり>書庫モツ連鎖

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