野川

野川野川
(2010/07/14)
長野 まゆみ

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タイトルの「野川」は小金井市のど真ん中を東西に流れる川。
小金井市は新宿から中央線で30分、東京の西部に位置する郊外の街だ。

両親が離婚して父親とK市に住むことになった主人公の音和(おとわ)。
転校先の中学校で、国語教師の河井に半分だまされて新聞部に入る。

初めて部室に行って驚いたのは、部室のテラスでを飼っていることだ。
部長の吉岡に手ほどきを受けながら、音和も小鳩の「コマメ」を育て始める。

新聞部の顧問でもある河合と部長の吉岡は、音和にいろんな話を聞かせてくれた。

河井がときおり披露するうんちく話は、音和の楽しみになった。
新聞部で鳩を飼う理由、小金井の地形とその成り立ち、かつて野川のほとりで見られた風景・・・
1年先輩の吉岡の方は、学校の周りの裏情報と、他の友達には言わない家族の話をしてくれた。

二人の言葉を心に刻みながら、音和は新しい環境に少しずつ折り合いをつけていく。
そして、「コマメ」を空に放つ日が来る…


実は私も二年前から小金井に住んでいる。正直なところ、最初はこの街を好きになれなかった。
ゴミ袋が有料だったり、駅前に自転車を停めるところがなかったり、初めて住む人にとってなにかと面倒だったからだ。
でもこの本を読んで、「小金井も悪くないかな」と思うようになった。

今では、と緑と坂道のあるこの街がかなり気に入っている。
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高橋竹山に聴く ―津軽から世界へ(新版) CD付き

高橋竹山に聴く ―津軽から世界へ(新版) CD付き高橋竹山に聴く ―津軽から世界へ(新版) CD付き
(2010/05/30)
佐藤貞樹

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「津軽三味線」の巨匠、高橋竹山。

1~2歳の頃、はしかをこじらせて【視力】をほとんど失った。小学校は3、4日行っただけでやめてしまったという。

14歳でボサマ(盲目の門付け芸人)に弟子入りし、以来、北海道、秋田、岩手、青森の各地を門付け(民家の門の前で唄を演奏して施しを受ける)をして生計を立てる。

20歳代、不景気と戦争で門付けが厳しくなり、唄会と呼ばれる興行に雇われて演奏を続ける。
30歳頃から成田雲竹の伴奏者として行を共にする。竹山の名前も雲竹からもらった。

50歳代、唄の伴奏ではなく、「津軽三味線」の独奏としての活動を始める。
本書の著者、佐藤貞樹は、そのきっかけを作った音楽プロデューサーだ。

以後30年に渡り、佐藤貞樹との二人三脚で、日本全国はもとより、モスクワ、ソウル、アメリカ7都市、パリなどで公演活動を行う。1998年、竹山は87歳7ヶ月で生涯を閉じる。

このように事実のみを書いていても、どこか恥ずかしい心持ちになる。
本書の表現を借りれば、『お前に竹山がわかっているのか』という声が聞えてきそうだ。
豊かな時代に都市部で育った人間にとって、竹山の人生は想像を超えている。

本書には「聴き書き」という言葉がたびたび出てくる。
竹山は文字によるコミュニケーションを持たないため、竹山の言葉とされるものはすべて、
竹山が語るのを誰かが聴いて文字におこしたものだ。

「聴き手」という言葉も大切なキーワードだ。
盲人が差別と貧困の中で生きるために受け継いできた芸が、「津軽三味線」という【芸術】の域まで高まったのは、「よい聴き手」とめぐりあったからだという。

「話を聴く」 「音楽を聴く」
ふだん何気なくやっていることだが、目の見えない竹山にとっての「聴く」は健常者のそれとは重みが違う。
30年の長きに渡って竹山に寄り添った著者にとっても、「聴く」という行為は特別な意味を持っていただろう。

本書の前身にあたる「高橋竹山に聴く」(集英社新書)が出版された翌2001年、佐藤貞樹も亡くなった。
著者の妻の佐藤陽子さんが本書に寄せたあとがきは次の言葉で締めくくられている。
『こんどは、わたしたちが貞樹の言葉を「聴く」ばんです。全身を耳にして。』

病気を診ずして病人を診よ―麦飯男爵 高木兼寛の生涯

病気を診ずして病人を診よ―麦飯男爵 高木兼寛の生涯病気を診ずして病人を診よ―麦飯男爵 高木兼寛の生涯
(1999/08/30)
倉迫 一朝

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森鴎外の名前は教科書に出てくるが、高木兼寛の名前はなかなかお目にかかれない。
ちなみに、鴎外(おうがい)はパソコンで一発変換されたが、兼寛(かねひろ)はすんなり変換してもらえない。

森鴎外(本名 林太郎)が陸軍の軍医総監だったのに対して、高木兼寛は海軍の軍医総監だった。
ともに軍医として『陸の鴎外、海の兼寛』と並び称されていたという。

森鴎外が、当時大流行していた脚気細菌が原因だと考えたのに対して、高木兼寛は栄養不足が原因だと考えた。
日露戦争では、陸軍で二万人以上の脚気死亡者が出たのに対して、兵食改善をした海軍ではほとんど重傷者が出なかった。
(ただし、海軍での統計が過小評価であったという説もある)

脚気の原因がビタミン不足であることが、日本でほぼ確定するのは1920年ごろ。
高木兼寛が、軍艦「筑波」の遠洋航海でパン食を採用し、その成功をうけて海軍の兵食改善に着手したのが1885年あたり。
病気の原因がわかる35年近く前に、予防策を講じて成果を挙げていたことになる。

病気のなりたちには常に【不確実性】がともなう。
しかし「真の原因」を知らなくても、予防のための意思決定はできる。

高木兼寛いわく、
『脚気の予防が確立されたからには、それ以上原因について研究する必要はあるまい』
ということらしい。

高木兼寛は宮崎県出身。
本書は宮崎放送のテレビマンであった著者が、高木兼寛の特集番組を作る際の取材記録の形をとっている。
著者の性格なのだろうか、細かいところまで記述しているので正直読むのがしんどい。
ただ、脚気と森鴎外との関係が出てくる10章から11章にかけては一気に読ませる迫力。

軍医としての顔だけでなく、【ビジネス】の世界でも超人的な活躍をしていた様が描かれる。
民間の病院・医学校・看護学校の設立(今の慈恵医大)、保険会社の起業(今の朝日生命)、資生堂(当時は薬局)との医薬分業、晩年は宮崎神宮の大造営などなど・・・

デスクでじっと考える森鴎外、一瞬もじっとしておれない高木兼寛。
戦後【教育】での扱われ方も含めて、これほど対照的な二人も珍しい。

月 人 石 (こどものとも傑作集)

月 人 石 (こどものとも傑作集)月 人 石 (こどものとも傑作集)
(2005/01/20)
谷川 俊太郎、乾 千恵 他

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谷川俊太郎さんの詩、乾千恵さんの書、川島敏夫さんの写真を組み合わせた絵本。

生きることのすばらしさをこんなシンプルに表現できるのはすごい。

子どもに読んであげながら思わず涙がが出てしまうので、【子育て】世代は要注意かも。
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Author:shokomotsu
無意味つづり>書庫モツ連鎖

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