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新「親孝行」術

新「親孝行」術 (宝島社新書)新「親孝行」術 (宝島社新書)
(2001/10)
みうら じゅん

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親孝行学の権威、みうらじゅん氏が、門外不出とされてきた親孝行術をついに解禁。

達人自らが語るその極意は・・・

親孝行はプレイである

プレイと割りきってしまうことで、思わず赤面してしまうような行為もスマートにできるようになるというのだ!

反抗期以降ギクシャクしてしまった親子関係を修復しきれずにいる男性諸氏にとって、なんともありがたい福音ではないか。

「人生に必要なことはすべてフーゾクで学んだ」

と氏が言ったかどうかはわからないが、親孝行道にプレイ精神を見出だされた慧眼には感服するほかない。

ただ、プレイは上級者コースに分類される遊び方ではないだろうか。
「あんなこともこんなことも…」と思い描いていざ出陣しても、たいていはお寒い結果に終わる。
顧客側は相当の覚悟とコミュニケーション能力を要求されるし、そもそも信頼関係がないと成り立ちそうにない。

氏が親孝行において、かくもスマートにプレイを実践しうるのは人間力のなせる業だ。
生半可な素人が真似しても「こんなはずじゃなかった・・・」と打ちひしがれることだろう。
それでも挑戦をやめてはいけない。フーゾクは年をとっても行けるかもしれないが、親孝行には冷酷なタイムリミットがある。

氏は本書を以下の言葉で締めくくる。
『親孝行プレイとは、諸君の大人としての成長を物語る行為でもあるのだ』

今度帰省したときは両親との温泉旅行でも企画してみるかな。
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職業としての政治

職業としての政治 (岩波文庫)職業としての政治 (岩波文庫)
(1980/03/17)
マックス ヴェーバー

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どんな仕事でも、最初はそれなりの夢や使命感を持って始めるものだ。

3年もすると、惰性というか慣性というか、あまり多くを望まなくなってくる。
悪い意味ではなくて、できることとできないことが仕分けされてきて、
少ないエネルギーで無難なクオリティを保てるようになる。飛行機の安定飛行みたいなものだ。

それが普通の人の普通の仕事の仕方だと思うが、政治家はそれじゃぁダメだという。

本書は、ドイツの政治【学者】、マックス・ヴェーバーの公開講演を記録したもの。
1919年に行われたというから今から百年ほど前になる。

当時は【プロ】の政治家(給料をもらって働く政治家)というものが生まれつつあった時代らしい。
【ソ連】ができたのが1922年だから、夢だけで政治ができるわけじゃないぞ、と共産主義に水を差すニュアンスもあったようだ。

【権力】の成り立ちから始まって、各国の政治制度の特徴をとかを順次解説してゆく。
そのうち職業倫理の話になって、プロの政治家とは、という核心に近づいていく。

講演記録なので、だんだん熱を帯びてくるのが伝わってくる。
最後のセリフは特に熱い。

『自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が-自分の立場から見て-どんなにおろかで卑俗であっても、「それでもなお!」と言い切る自身のある人間。そういう人間だけが、政治への「天職」を持つ』

「政治」の部分を自分の職業に置き換えてみて、どんな仕事でも長く続けるには「それでもなお!」が必要だと反省。

ムツゴロウの動物交際術

ムツゴロウの動物交際術 (文春文庫)ムツゴロウの動物交際術 (文春文庫)
(2003/03)
畑 正憲

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ムツゴロウこと畑正憲氏。

テレビで動物とペロペロなめ合ってるご老人というイメージが強いかもしれないが、実は東大で動物学を学んだ博学の人。

『犬をしつけるのにきつく叱ってもいいものでしょうか』
京都で上品な初老の女性から聞かれたこの問いから本書は始まる。

ムツゴロウさんは、ナミビア、モンゴル、キルギスなど世界各地の民族が犬や馬と接する姿に、その答えがあると説く。
叱っていいかとか、殴っていいかとか、その行為だけを取り出しても意味はない。
目の前のと真正面から向き合っていれば、まず問題は起こらないのだという。

手で触れて仲良くなる
ご馳走をあげて喜ばせる
歌でリラックスさせる
ネチネチ叱らない
自立期に叱りすぎると逆効果
命令ではなく他者との【関係性】を通して社会を学ばせる

これらの動物交際術を読んでいて、育児書を読んでいるような気がしてきた。
なるほど、【子育て】も同じ、自我と自我のぶつかり合いだ。

ムツゴロウさんの奥さんが、あるインタビューで夫がどういう人かを聞かれて「作家です」と答えていた。
ゾウとディープキスしたとか、バクのペニスを引っ張り出したとか、書いてあることはえげつないのだが、さらっと気持ちよく読めてしまうのは物書きのなせる業なのだろう。

カニのふしぎ

カニのふしぎ(らくだ出版)
武田正倫

八丈島のビジターセンターで見つけた一冊。
子ども向け図書なのに大の大人がハマってしまった。

カニの脚は8本だと思っていたが、ハサミを合わせると10本で、その名の通り「十脚目」と分類されているそうだ。
同じ十脚目の仲間がエビだ。カニのお腹にはシマシマ部分があるが、そこを開いて伸ばした形になってるのがエビ。確かに!

甲殻類はエビカニにとどまらない。陸上で生きているダンゴムシも同じ仲間!
元々はダンゴムシのようにたくさんあった脚が、【進化】の過程で洗練された結果10本になったらしい。

昆虫の脚は6本だが、これもムカデのようなうじゃうじゃ脚のスタイルから合理化されていって、必要最小限の本数に落ち着いたのだという。

ちなみにダンゴムシも含めて甲殻類はすべてエラ呼吸。陸上で生きているヤツは水なしでも呼吸できるようにこれまた進化したとのこと。

う~む、甲殻類と昆虫は奥深い。

森に眠る魚

森に眠る魚 (双葉文庫)森に眠る魚 (双葉文庫)
(2011/11/10)
角田 光代

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娘が産まれてすぐ、妻と交代で子守をすることになった。保育園が見つかるまでの3ヶ月、週2日のデューティだ。

2時間置きにミルクをあげればいいだけだから意外に仕事もできるんじゃないか、という見込みは、ほんの数日で絵空事だとわかった。

産まれたばかりの子どもはミルクを吸う力が弱いので、飲むのに20分くらいかかる。飲んだ後寝かしつけるのにまた20分。やっと落ち着いたと思ったらまた腹が減って泣き出す。これが何度も繰り返される。一日に何度もウンチをするのでその度にオムツ替え、時折ミルクを吐いたら布団や床の掃除。
気分転換にベビーカーを押してぶらついてみても、店員と軽く言葉を交わす程度しか外の世界と関われない。

『親子三人で見ず知らずの異国をさまよっているような感覚に強くとらわれる』

物語に登場する母親のこの言葉は、当時の私が感じた疎外感を見事に表現している。

苦行のようなこの生活になにかしら意味を見出すとすれば、子どもの成長しかない。
この子の命と、将来の人生は、誇張でもなんでもなく、自分一人にかかっているのだ。

小説では、子どもの自主性を大切にして伸び伸び育てたい、と語っていた真面目な母親が、
しだいにお受験にのめりこんでゆく。
【教育】が子どもの将来を変えてくれる、それが自分の人生も解放してくれる
その願いは皮肉にも彼女たちをさらなるの深奥へと追い込んでしまう。

お受験に入れあげて子どもで自己実現をしようとする母親たちを責めるのはたやすいが、
【子育て】という単純作業を、たった一人で目的もなく、毎日何年も続けられるほど強い人間がいるだろうか。

物語に登場する男性はみな影が薄い。でも、この小説はむしろ男性が読むべきだと思う。
【女性】を深い森に閉じ込めてきたのは自分たちかもしれないなのだ。

変身

変身・断食芸人 (岩波文庫)変身・断食芸人 (岩波文庫)
(2004/09/16)
カフカ

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『ある朝目覚めると、自分が一匹の毒虫に変わっていることに気がついた』

出だしのインパクトは強烈そのものだが、最初に読んだときはそれ以上の印象が残らなかった。

毒虫になってしまったグレゴールの描く世界が狭く歪んでいるように感じられて、どこに感情移入すればよいのかわからなかったのだ。

しかし、ひょんなことから障害者の立場から書かれたレビューを読んで、この作品への見方がガラリと変わってしまった。

毒虫としてのグレゴールの振る舞いが、障害をもっている方が体験されている感覚に近いというのだ。

毒虫としての生活は辛く不便だが、そんな中でも、天井にぴったり張り付いているのが楽だといったように、毒虫なりの小さな幸せを感じたりする。
グレゴールの家族は、毒虫になった彼の面倒を献身的にみているが、どこかで彼をお荷物に感じている。
普段は家族に遠慮して隠れているグレゴールだが、うれしさのあまり自分が毒虫であることを忘れてしまうことがある。
その家族を愛するがゆえの行動が、かえって家族を不幸にしてしまう。

物語は終始グレゴールの視点で書かれ、家族を「父」「母」などと呼んでいるが、ある瞬間から「ザムザ氏」「ザムザ夫人」と呼ぶようになる。そしてそのまま物語は終わる。

障害を持つ子の親の気持ちで読むと、切なすぎる物語だ。

毒虫は変身願望の現われという解釈もされているようだ。
今回読み直してみて、奥行きがあるというか、【芸術】作品として長く愛され続けてきたのがわかる気がした。

この作品は、カフカが生きている間に発表された数少ないものの一つらしい。
「城」「審判」に比べるとすっきりとして格段に読みやすい。書いた本人的にも完成度が高かったのかもしれない。

図説 エロスの神々―インド・ネパールの太陽神殿とタントラ美術

図説 エロスの神々―インド・ネパールの太陽神殿とタントラ美術 (ふくろうの本)図説 エロスの神々―インド・ネパールの太陽神殿とタントラ美術 (ふくろうの本)
(2000/05)
福田 和彦

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ネパールのヒンドゥー教寺院でぼんやりとレリーフを見ていると、怪しいガイドが話しかけてきて「エロティック、エロティック」と連呼している。何を言ってんだこいつは、と思って彼の指差す方を見てびっくり。

アダルトビデオでもここまではやらないだろうというような、男女が絡み合う彫刻があちこちにあるではないか。

ガイドの話をまじめに聞いてみると、神話を元にした彫刻らしい。
神話にこんなエロテックなシーンが出てくるのか?帰国してすぐこの本を買ってしまった。

『性愛は歓喜をともない、子を生み出す。それは創造行為である。』

【ヒンドゥー】では、人間の性愛は、創造主である神々の行為を代理するものと捉えられているとのこと。
世界を代表する【宗教】でここまでおおっぴらなことが可能なのは本当に驚きだ。
プロフィール

shokomotsu

Author:shokomotsu
無意味つづり>書庫モツ連鎖

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