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差別語とはなにか

差別語とはなにか (河出文庫 し 13-5)差別語とはなにか (河出文庫 し 13-5)
(2009/10/02)
塩見 鮮一郎

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放送禁止用語のリストでも並んでるのかな、と軽い気持ちで読み始めたら、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けてしまった。

前半は、筒井康隆の断筆宣言についての論考に割かれている。

彼の小説が、発表から三十年近く経って、角川書店の教科書に掲載された。それを読んだある高校の教師が、作品に出てくるてんかん者の表現に疑問を持って、角川と日本てんかん協会に問い合わせたのが事の発端だ。

著者の言うように『個別のケースについて当事者の話合いで解決するべき』だったところを、
角川が最初に門前払い的態度をとってしまったのと、【メディア】にあおられたのとで、「表現の自由」の問題まで及ぶ大騒動となってしまった。

三十年近く前の作品を教科書に載せる判断をしたのは角川であり、当時と医学的知識や社会状況が異なることは筒井康隆ではなく、角川(+文部省)が配慮すべきであった。てんかん協会は、発言の機会を持たない被差別者の人権を守るために、当然の行動をとっただけだ。

『表現は不自由である』
私たちは普段、言っていいことと悪いことを意識的にも無意識的にも区別している。何がよくて、何が悪いかは、その場に誰がいるか、ひいてはその背景の市民社会が決めている。それは個人も作家も同じなのだ。
【芸術】に携わる者だけがどんな表現でも特権的に許されている、というのはとんでもない誤解だ。社会の反発をまねいてまで何かを表現をするときは、その責任を負った上でやらなければならない。

著者のこれらの言説は実に明快で重みがある。

『差別としての水俣病』の章では、自分の意識下にある差別的価値観に気づかされてしまった。
近代以降の差別は、『【関係性】の差別』なのだという。
自分が加害者になっていないか、社会の成員として常に自問していなければいけないんだ。

最後の対談で五木寛之が言っている。
『知的な話題として差別や解放を論じるというのは、やっぱり好きじゃない』
興味本位でこの本を手に取った自分の浅はかさを見透かされているようだった。

夏目漱石の「坊ちゃん」の差別性のところも興味深かった。
【女性】の視点から書かれた「明暗」も、都合のよい男の妄想と言えなくもない。
日本の急速な【近代化】に危惧を覚えた漱石が、男性優位の価値観を守ろうとした作品だと考えることもできるだろう。
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平家物語

平家物語(岩波文庫)平家物語(岩波文庫)
(1999/07/16)
梶原 正昭、山下 宏明 他

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『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり』
このシブすぎる出だしに惹かれ、あえて古文のまま読んでみた。
何度も挫折しながら数年かけてようやく読了。そんなときにNHK大河にも清盛が登場してちょっとしたブームになっているようだ。

平安時代末期、栄華を極めた平家一門の滅亡を綴った物語。
最初は平家の驕りっぷりが描かれる。有名な「平家にあらずんば・・・」のセリフ
『この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし』
は清盛の妻の兄・時忠の言葉。
清盛は、都におかっぱ頭三百人の少年警備団を組織、平家の悪口を言う奴を見つけてチクらせていたという(巻第一 禿髪)。

清盛のパトロンであった後白河法皇は、そのような横暴に次第に不満をつのらせいた。側近の不満分子とともに反乱を企てるが、密通により未遂に終わる(巻第一 鹿の谷)。

激怒した清盛は、首謀者の一人藤原成親(なりちか)を斬首にしようとするが、清盛の長男・重盛が親父に直訴、
『刑の疑わしきをばかろんぜよ、功の疑わしきをば重んぜよ』
と思いとどまらせる(巻第二 小教訓)。

清盛が激情型の信長タイプだとしたら、重盛はバランスのとれた家康タイプ。重盛は早死にしてしまうが、もし長生きしていたら平家の天下は続いていたのではないかとも言われている。

他の三人の首謀者は薩摩の鬼界ヶ島に流される。そんな折、清盛の娘が天皇の子をご懐妊、恩赦で呼び戻されることになる(巻第三 赦文)。しかし一人だけ、俊寛という僧侶だけが恩赦に含まれていなかった。彼は他の二人と一緒に船に乗せてくれと懇願するが、非情にも突き放されてしまう(巻第三 足摺)。

このあたりの話はドラマチックなので、いろいろアレンジされて歌舞伎の演目にもなっているようだ。

物語の後半は平氏一族がバタバタ死んでいく。ある者は戦で斬られ、ある者はさらし首にされ、ある者は自害し、都では一族を根絶やしにするため平家の子孫に懸賞金がかけられた(巻第十二 六代)。おかっぱ頭警備団のツケを払わされた形だ。

平家の死に様の中でも清盛の甥・敦盛の最期は特に悲劇的だ。
敦盛は『容顔まことに美麗』な十七歳。一ノ谷の戦に敗れ海を漂っていたところを熊谷次郎直実に見つかってしまう。熊谷は息子と同じ年頃の、美しい鎧を着た見目麗しい少年を斬ることを躊躇するが、助けると自軍に見つかってしまう。泣く泣く首をはねて鎧で包もうとしたとき、少年がを腰に差しているのに気づく。
『東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ』
その優雅な少年の死に誰もが涙したという(巻第九敦盛最期)。(巻第九 敦盛最期)

源氏の方は、義経の強さがハンパない。
崖を駆け下りた一ノ谷(巻第九 坂落)、那須与一が扇の的を射る屋島(巻第十一 那須与一)、連戦連勝で平家を檀浦に追い詰めてゆく。

源氏のもう一人の雄は木曾義仲。平家の大軍を谷底に落とした倶利迦羅峠の戦(巻第七 倶利迦羅落)などを経て、最初に京都に入る。

義経と義仲は、平家打倒に多大な貢献をしたにもかかわらず、冷徹な策士・頼朝にいいところを持ってかれてしまう。如才ない頼朝は、要所要所で当時の【権力】の肝、後白河法皇の顔色をうかがったり、お墨付きをもらったりしている。一方の義仲は、せっかく京都に入ったのに法皇の御所を焼き討ちにするという暴挙。食事や装束、牛車の乗り方に至るまで、宮中の慣わしを全く知らぬ信濃の田舎者、悲しいかな貴族たちの笑いの的になってしまった(巻第八 猫間)。
義仲は頼朝の命で京に上った範頼・義経軍に討たれ、その義経も檀浦の後、頼朝に危険人物とされて討たれる。

物語の随所に出てくるのが、崇徳院の呪いだ。都で戦や天災が起こる度に、すわ!崇徳院の呪いか?と騒ぎになって祈祷が行われる。史上最大の祟りとも言われる崇徳院の呪い、今読んでも怖いくらいだから当時は洒落にならない話だったのだろう。

明暗

明暗 (岩波文庫)明暗 (岩波文庫)
(1990/04/16)
夏目 漱石

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子どもの時分の正月といえば、母方の祖父母の家に集まるのが習わしだった。皆酒好きでなごやかな宴会がだらだらと続くのだが、たまに嫌な雰囲気になることがあった。

それは決まって男の親族がいないときに起こった。祖母が、私の母や叔母を前に、祖父の非道を涙ながらに語るのだ。娘に旦那の悪口を言うのは珍しいことではないだろうが、いつも正座してニコニコしてる置物のようなお婆ちゃんが、突然女の情念のようなものを吐き出す光景に、大人の世界を垣間見た思いだった。

話がだいぶそれてしまった。この小説はもっと若い奥さんの話だ。

お延は、夫の津田とそこそこ幸せな結婚生活を送っている。あまり器量はよい方ではないが、津田を愛しているし、津田にも愛されていると実感している。しかし、そう実感するためにどこか無理をしていた。その無理が、津田の病気をきっかけに、自分にも周りにもわかるようになってくる。そしてある日、津田の悪友小林に、その矛盾を突きつけられる。

明治時代の女性は皆、お延のような葛藤を抱えていたに違いない。経済的に自立できない女性にとって、誰と結婚するか、結婚生活をどう維持するかで、人生のほとんどが決まってしまう。

若さや器量があれば苦労がないかといえば、お延が言い放っている通り、そんなものは
『未来の夫に対してなんの役にも立たない。』

多くの女性は、家計【子育て】に興味の中心を移してゆく。本書では津田の妹お秀がそうだ。しかしお延には子どもがいないし、家計も肝心なところは津田が管理している。津田に愛されているという実感と、それを持続できているという自負だけがよりどころだったが、入院する夫の代わりに周囲と関わる中で、今まで見なくてよかったものが少しずつ見えてきてしまう。

私の祖母は大正生まれだったが、女性の立場は明治と大きく変わらなかっただろう。
昭和初期生まれの母だって、結婚を機に仕事をやめて家庭に入ったので、夫との関係はたいして違わない。
祖母や母が女性としてどんな葛藤を抱えていたのか、母に聞くことはできるが、
男の自分が聞いてはいけないような気がなんとなくする。

この小説は、漱石が亡くなる直前の作品で、未完のままになっている。
彼の小説の中で、【女性】の視点で書かれたものはこれだけらしい。

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか
(2006/10/19)
ジェームズ R・チャイルズ

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東日本大震災の翌日、菅総理の記者会見で「計画停電」の実施が発表された。
私の住む東京郊外も見事に含まれている。

どうしよう…生まれてこのかた長時間の停電なんて経験したことがない。
懐中電灯で灯りはなんとかなる。料理はガスで大丈夫。でも水道は?
蛇口に電気は使われてなさそうだ。でもうちはマンションだから、タンクに水を貯めるのに電気が使われているかもしれない。タンクはどこにある?ゴミ捨て場の横のヤツがそうか?うちは一階だからしばらくは水圧で使えるのか?トイレは?バケツで流せばトイレは流れていってくれるのか?

なんにもわからないので、とりあえず鍋と風呂に水を貯めることにした。結局我が家の地域は、変電所が近いとかで停電になることはなかった。三日後マンションの掲示板には「停電になると水道も止まります」という紙が貼られていた。

「われわれは巨大なマシンの中で生きている」
本書の冒頭のこの言葉を、震災ほど思い知らされたことはなかった。
水道一つとってみても、【生存】に必要なことはすべて専門家に任せてしまっている。

専門家にとっても、事故はマニュアルのない応用問題だ。
化学工場、石油採掘船、航空機、スペースシャトル、ハッブル宇宙望遠鏡、そして原子力発電所。
後付けで読むと、事故がどのようにして起きたかを素人なりに理解することはできるが、リアルタイムで事故に接していた人は、なにが起こっているか想像するのは至難の技だったろう。

スリーマイル原発事故の直後、制御室では異常発生を知らせるブザーが鳴り続け、百個以上の警告ランプが点灯していたという。

原子力エネルギーが原爆の次に実用化されたのは、潜水艦だった。
潜水艦への実用化は夢のまた夢だと考えられていた中で、原潜の父と呼ばれた米海軍のハイマン・G・リコーバーはそれを成し遂げた。

彼は、あらゆるものを疑う人だったという。
潜水艦の中で使う電化製品のサンプルが届くと窓の外に放り投げてその強度を確かめた、
原潜の実験航海には必ず自ら乗り込んだ、などなど。

本書で紹介されている事故だけでも、数え切れないほどの犠牲者が出ている。
【事故】の犠牲者と、その防止のために人生を捧げた【プロ】たちのおかげで
今日の文明社会があることを噛み締めたい。

川の地図辞典 江戸・東京/23区編

[新刊] 川の地図辞典 江戸・東京/23区編 [フィールド・スタディ文庫1][新刊] 川の地図辞典 江戸・東京/23区編 [フィールド・スタディ文庫1]
(2007/12/25)
菅原健二

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かつて利根川は、東京湾に流れ込んでいた。その流れを東の太平洋にすげ替えて、銚子から江戸までを内陸の川でつなぐという大工事をやってのけたのが徳川家康らしい(利根川の東遷)。

本書は、地図を新旧並べることによって、東京の川の変遷を綴っている。
古い方の地図は明治初期のものなので家康の時代まではさかのぼれないが、それでも今から130年以上前の地図。
網の目のように川が流れ、川辺に田んぼが広がっていたありし日の【東京】を思い浮かべることができる。

川を言葉で説明するのは意外に難しい。一本の川に何本もの川が流れ込み、それがまた何本もの川に分かれているからだ。しかも川は治水工事で流れが変わるし、上流と下流で呼び名が変わったりもする。

例えば荒川と隅田川は、東京の下町を流れる代表的な2つの川だが、一昔前は隅田川だけだった。
現在の荒川の下流部分は洪水を防ぐために作った人工の川で、それができる前は、隅田川自体が荒川の下流部分だった。さらに昔までさかのぼると、荒川は利根川に流れ込んでから東京湾に注いでいた(荒川の西遷)。

これだけでも頭がこんがらがってくるが、この手の説明を何百個も並べたのが本書だ。
バカ正直に最初から読んでいるとすぐ眠くなってくる。

で、改めてタイトルを見ると「辞典」とある。そうか、これは読み物じゃないんだ。
知りたい川について調べるためのまさに「辞典」なんだ。

そう思って読み返してみると、明治初期の地図は建物が少ないので等高線がはっきりと見える。等高線が密なところには坂道があるに違いない。坂の下の道はかつて川だったというケースはよくある。今度これを片手に坂めぐりをして往時の川を想像してみよう。
プロフィール

shokomotsu

Author:shokomotsu
無意味つづり>書庫モツ連鎖

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