八甲田山死の彷徨

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)
(1978/02/01)
新田 次郎

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東北新幹線の楽しみの一つは「トレインショップ」

かゆいとこに手が届きすぎたラインナップに思わずポチっとしちゃいそうになるわけだが、
冬季はカタログの半分以上が防寒グッズで埋め尽くされて、
東北の冷えはさぞキツいんだろうなあと実感したりもする。

そんな東北でもナンバーワンの豪雪地帯、八甲田山を真冬に行軍したトンデモ部隊がいた。
我らが日本陸軍だ。

210名中199名死亡。ほぼ全滅である。

こんなことやってるから…というツッコミはさておき、この部隊と同時に逆ルート
八甲田山にアタックした別の部隊がいたことはあまり知られてない。
しかも一人の犠牲も出さずに踏破したというのだ。

何が2つの部隊の明暗を分けたのか、その種明かしは読んでのお楽しみとして、
この遭難モノの古典は、読むだけで凍えそうになること請け合い。

握り飯が凍る。水筒が凍る。手足が凍傷でものも食えない
雪山で死んだ人がなぜか最期にになっちゃってるという話も
この小説から来てるのか。

こんな大惨事を起こしても誰一人責任を問われることがなかったという。
しかも将校クラスの生存率は兵卒の6倍(とはいえ将校も8割死んでる)。
こんなことやってるから…というツッコミはさておくわけにもいかんだろ。
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円朝芝居噺 夫婦幽霊 (講談社文庫)

円朝芝居噺 夫婦幽霊 (講談社文庫)円朝芝居噺 夫婦幽霊 (講談社文庫)
(2010/03/12)
辻原 登

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落語?たまの飛行機できくぐれぇかなぁ

円朝?名前しか知らねぇなぁ

ほう、江戸の落語家さんですかぃ
そんだけご高名ならいっぺんきいてみてぇもんだねぇ

え?きいてみろってぃ?馬鹿言うねぇ、江戸にICレコーダーでもありぁ別だがぁ

なに?それがあるんだってぃ?円朝さんの速記録?国会中継でやってるあれかぃ

そいつぁおもしれぇ、じゃあひとつきかせてもらおうじゃねぇか

とまあこんな具合で、かの円朝さんの小噺を拝聴といきましょう。
あんまり入り込むと迷子になってしまうのでご注意を。

後白河院

後白河院 (新潮文庫)後白河院 (新潮文庫)
(1975/10/01)
井上 靖

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この男、つかみどころがない。

鳥羽天皇の第4皇子。
男色や歌謡曲をこよなく愛するナマグサ皇族

タナボタで天皇になったくせに
息子や孫が天皇になった後も
として政治に口をハサみまくる。

あるときは平氏を持ち上げ、
あるときは源氏にすり寄り、
またあるときは公家のいいなりになり、
言うことなすことコロコロ変わる。

その度に周りは血で血を洗う抗争。
保元の乱平治の乱源平の合戦・・・
終わってみると当のご本人はシレっと
勝ち組に乗っかっている。

ついたアダ名は「日本国第一の大天狗」・・・

本書は、この男の謎を解き明かそうと4人の関係者の証言を得た。
彼らの話をまとめると、
「すべてお見通しあそばされていた」
ということらしい。

ある証言者いわく、
『世の中の事件の持つ意味は、ある歳月を経て初めて判然としてくるものである』

悪運やワガママだけで30年以上院政を続けることはできない。
ひとり後白河院だけは、国の将来を見すえて行動していたというのだ。

大天狗、少々かいかぶられすぎという気もするが…真相はいかに?

平治物語

平治物語 (岩波文庫)平治物語 (岩波文庫)
(1934/11/15)
岸谷 誠一

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平清盛=おごれる者

と勝手に思い込んでいたが、平治物語では意外にクールな清盛が味わえた。

平安時代末期に起こった平治の乱は、藤原信頼(のぶより)というイケてない公家が、
昇進を妨害された腹いせにライバル公家を殺し、ついでに天皇と法皇を幽閉してしまった事件

清盛は信頼に対して味方っぽい態度をとりながら、裏ではこっそり天皇の身柄を確保。
官軍となるや一転、容赦なく信頼軍を制圧、ごほうびの昇進を手にする。

天皇家の用心棒として恩を売ると同時に、をせっせと嫁がせ外戚となり、ついには関白太政大臣をゲット。
最終的には孫を天皇にすることにまで成功する。

単なる傭兵レベルだった武士の地位を、緻密かつガマン強い作戦で【権力】トップにまで押し上げた男。
それが清盛なのだ。

鎌倉幕府をつくった源頼朝が武家政権のパイオニアだと思いきや、
実は地ならし的な作業はすべて清盛がしてくれていたのだ。

平治物語には、清盛と頼朝の皮肉な因縁も描かれている。

頼朝は平治の乱で信頼サイドに加担、囚われの身となった。
同じくクーデターに加担した父の義朝と兄の義平は処刑された。

当時まだ13歳だった頼朝の処遇について清盛は
「源氏の末裔を生かしておくと将来ヤバいことになる」
と強く処刑を主張した。

ところが抜け目ない頼朝少年、いろんな人に命乞いをして説得工作、
最後の最後でつい清盛は情けをかけてしまった。

結果伊豆への流刑で済んだ頼朝。
20年後打倒平氏の大将として舞い戻り、清盛の予言どおり平氏を滅ぼした。
そんな源氏の政権も、同士討ちばかりして三代限りで終了。
東国の野蛮人集団の源氏に、慎重な政権運営はどだい無理だった。

もし清盛がクールさを突き通していれば、
武家政権がもっと早く安定化して、めぐりめぐって日本の
【近代化】も早まったんじゃないか・・・
というのは考えすぎか。

保元物語

保元物語 (岩波文庫)保元物語 (岩波文庫)
(1934/11/15)
岸谷 誠一

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「こんぴらさん」で知られる香川県の金刀比羅宮には2人の神様がまつられている。

1人目は大物主命というホントの神様、2人目は崇徳天皇
崇徳は平安時代に実在した天皇だが、呪いがあまりに恐くて神様として追加されたのだ。

京都の白峯神宮。明治時代にできたこの神社にも崇徳がまつられている。
明治維新で国を建て直そうというとき、崇徳天皇の呪いがかからないように
わざわざこの神社が建てられたのだ。

明治維新と言えば崇徳が死んで700年後。どんだけ恐れられてるのか。
まさに「史上最恐」といえるこの怨霊がいかにして生まれたのか、保元物語にたずねてみよう。


平安時代末期、崇徳は鳥羽天皇の第一皇子として生まれた。
白河天皇の代から続く第一皇子の系統、大本命のプリンスだった。

父の鳥羽天皇からわずか5歳で皇位を継いだ崇徳だったが、
20歳を過ぎたころ異母弟の体仁(近衛天皇)に譲位させられる。

この譲位は鳥羽のだった。
「弟の近衛を養子にして譲位すれば、父として院政をしけるぞ」とそそのかされたのだ。
フタを開けてみると、即位の公式文書には「弟に譲位」と書かれていた。
院政は天皇の父か祖父しか行えないので、崇徳は【権力】から外されてしまった。

失意の崇徳は実の息子に望みをかけた。
実の子を天皇にすれば誰にも文句を言われずに院政がしける。
しかしまたしても鳥羽が邪魔に入る。
側近たちと謀って、後白河天皇を擁立してしまったのだ。

後白河は鳥羽の第四皇子、崇徳の3つ下の弟にあたる。
人徳も教養もない、崇徳にしてみれば格下もいいとこだった。

崇徳がここまでコケにされたのは、「崇徳=不義の子」説が原因だと言われている。
崇徳は鳥羽の子ではなく、鳥羽の祖父・白河天皇が鳥羽の妻と不倫してできた子だというのだ。

実の父がひいおじいちゃんという悲劇。
鳥羽の死をきっかけに崇徳はついにクーデターを起こすがあっけなく敗北
讃岐(今の香川県)に流されてしまった。
天皇経験者が都を追い出されるのは400年ぶりのことだった。

崇徳は後世のためにと3年かけて写経して都へ送る。
しかしこれまたあっさりと送り返される。遣いの者が様子を見に行くと、
崇徳は自らので書をしたため、髪も爪も延ばし放題で京を呪っていたという。
そして都に戻ることなくそのまま生涯を閉じた。

これがこんぴらさん白峯神宮に鎮められている呪いだ。


崇徳にとって流罪は相当キツかったようだが、
反乱に手を貸した源平両家の武将は、幼子もろともをはねられてる。
その首をはねたほうも、続く平治の乱から源平合戦にかけて、
次々と命を落としてゆく運命にあった。

まさに諸行無常

崇徳は第一皇子として豊かな教養を身につけていた。
百人一首にも選ばれている崇徳の和歌は味わい深い。

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あわむとぞおもふ
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shokomotsu

Author:shokomotsu
無意味つづり>書庫モツ連鎖

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